体育の日ラン

近頃は異常気象が叫ばれていて
ゲリラ豪雨が頻発したり
桜の季節に雪が降ったりしているけど
体育の日だけはなんだか聖域のように
相変わらずよく晴れる。



文化の日も、建国記念日
特別なにをするわけでもないくせに
体育の日だけは、運動をするのが
「正しい時間の使い方」のような気がして
今年もランニングをする。



気温は25℃を超えて
日差しもジリジリするほど強いけど
空気はからっと乾き、それで
はっきりと夏は終わったのだと実感する。



休日に汗をかくには、気持ちがいい。



いつもなら、なるべく
帰り道から逸れない場所で食事をしようと思うけど
少し早い夕食は、ちょっと足を延ばして
神楽坂へ向かう。



いつもながらの賑やかさで、しかし
その賑わいさえも情緒だと感じてしまう街。



歩いて向かうのは、ブラッスリーグー。
この街らしい温かみのあるお店。
赤と白のギンガムチェックのクロスがかかった
小さめのテーブルで、カールスバーグを飲みながら
メニューを眺める。いや、真剣に凝視する。



今年の2月に訪問した時の記憶がよみがえる。
そう。メニューはほとんど変わっていない。
それでも心躍る、豊富な料理リスト。



前菜は、オニオンのキッシュ、白身魚とホタテのムース。
飴色の玉ねぎの甘さにとろける。
メインは、うずらのバターライス詰め、カレーソース。
香ばしいバターライスでパンパンに膨れ上がったうずら
フレンチとカレーが見事に融和した濃厚なソースがたっぷり。
付け合わせの野菜もじっくり煮込まれている。



フランスの田舎の香りを満喫して(行ったことないけど)
さっきまでペコペコだったお腹も、この2皿で
うずらのようにパンパンになった。



最後は、ガトーショコラとカフェオレで、
気分はすっかりフランス人。
なんというかこのお店は、
豪勢さや煌びやかさを求めるのでない限り
満足しない人は、いないような気がする。



週の始まりは、そりゃあ憂鬱ではあるけれど、
憂鬱という感覚すら思い出せなくなる一時があるのなら、
それはやっぱり、幸せというのかもしれない。

書禅

年の始まりには目標を立てる。
形に残るものも、残らないものもある。
自分の力ではどうにもならないものも
やる気さえあれば今日にだってできるものもある。
そしてたいていは、いくつかは未達成で終わる。



それは、去年の一番の目標だった。
やる気さえあれば、できる類のものだった。
それなのに、未達成で終わった。



気持ちは変わらなかったけど
去年のあまりの無残な結果に
今年は目標にさえ入れるのを諦めた。




論文を書くということ。



それが今年、ひょんなことから
とりあえずだけど、形になった。



誰に頼まれたわけでも
誰が期待していたわけでもないのに
勝手に妙なプレッシャーを感じて
貴重な連休まで潰してしまった。



半分以上は
自分の不甲斐なさとの戦いだった。
その戦いに勝ったわけではないけど
寝技には持ち込んだ、という感じで。



形に残るといったって、
目に見えるモノにはなるけど、
別に世の中に残るわけでもない。



それなのに、「が」と「は」のどちらを使うか
という迷いに、いったい何時間を費やしただろうか。
徹夜したところで、誰ひとり救えるわけでもない。



「ただ、そこに坐っているだけ」という坐禅
同じくらい“無駄”なことだったと思う。
それでも、悩み書くというこの“無駄”な行為を
無価値だと思う気持ちは、いまのところ一切ない。

被災地を語る

「ボランティア、どうだった?」そう聞かれて
「良かった。楽しかった。」と
半ば条件反射的に出てくる言葉を呑みこむ。
これはゴルフコンペとは違うのだと。少なくとも、
自分がそういうイメージの発信源になっては
いけないのだと。



予想以上に、そう質問されることが多いのも
それなりに興味を持っていて、しかし、
それとの距離を測りかねる人が多いからだろう。
かっこいい。でも、照れくさい。
どちらも不必要な感情だと思うけれど、
歴史が浅い日本では、仕方ないのかもしれない。




ボランティアに参加することの動機を
強制や制限することは、もちろんできない。
でも、それだけで自分がすばらしいことをした気になり
優越感すら覚える。そんな風潮に嫌悪感を抱いたりもするが
それすら、一人でも多くの人を呼び込めるなら
好ましい変化だと言うべきか。




どちらにしても、それを「特別なもの」として扱う限り、
一時の流行で終わってしまう可能性は捨てきれないと思う。
軽々しく、すべての商品に「エコ」と名づける社会。
ボランティアツアーも、できるだけ多くの人に参加してもらうこと、
参加者に満足してもらうこと、いつの間にかそっちのほうが
目的化してしまうことが、ないと言えるだろうか。
地球環境のために、震災復興のために、
何が必要なのか、何をすべきなのか、真摯に問い続けることを
忘れてはいけない。自分自身も。



CSRバブルは、それが続いていけばいくほど
バブルではなくなり、まさにファンダメンタルズになってしまう。…
人間は、歴史の中で、徐々にそのファンダメンタルズを増して、
少しでもまともな社会を実現しようと努めてきた。」
岩井克人『会社はだれのものか』)



いつかボランティアが社会のファンダメンタルズになれば
「ボランティア、どうだった?」と聞かれることも、
その答えにいちいち悩むことも、
なくなるだろう。

被災地を行く

田舎ののどかな風景に、突如として
壊れた民家や潰れた車が出現する。
やがて、瓦礫が散乱した土地に変わる。



宮城県の南三陸を走るバスの外には、
すでに映像で見慣れてしまった光景が広がっている。



ボランティアは、その日の状況に応じて人が配置が決まる。
あるグループは、林野を切り開いて畑地にする作業。
別のグループは、避難所の中の保育施設で子どもの世話。
そして私は、同僚と二人で海辺にある民宿へ。



車で案内してくれたのは、福岡から来た男性。
地元では無職だったが、ここでは食事と宿が提供されるボランティア活動を
4月から続けているのだという。すっかり地元に溶け込んでいる様子だった。




玄関を開けて声をかけると、おばあさんと小さな女の子が出迎えてくれた。
入ってすぐ向かいには、窓一面に水平線が広がる20畳ほどの広間があり、
その窓ガラスを掃除してほしいという。



用意されたバケツと布巾で拭いてみるも、いっこうに曇りが取れる気配がない。
「なかなかキレイにはならないんだね」と呟くおばあさんを見たら
なんだか申し訳ない気持ちになり、わずかに腐敗臭の混ざる海風と、
しつこく飛び回るハエ、流れる汗と格闘しながら、しつこく磨き続けてみる。
すると徐々にガラスは透き通っていき、最後にはクリアな海の景色が広がった。



窓の汚れなんて、人の生死に関わる問題ではない。
けれど、そこに人が生活している限り、その人にとって
部屋の窓が澄んでいることには、それなりに必要なのだと思う。



「地球を救いたい」そう唱えることはもちろん立派なことだけれど、
目の前のゴミが拾えることも同じくらい大切なのだと、近頃は思ったりする。
優先順位や方法は、やはり賢く判断しなければならないけど。



休憩時間、イチゴ練乳のかき氷を出して、おばあさんは話を始めた。
行き場をなくした人たちに民宿を開放し、1か月以上も世話をしたにも関わらず
公設の避難所でなかったために、何の支援もなく、悪口さえ言われたという話。
1,000万掛けていた家財保険も100万しか下りず、役所と喧嘩したという話。
被災したことの悲しみより、生きるために必死であるが故の憤りや怒り、
そして、これから自活していかなければならないことへの強い不安が感じられた。




午後は、登米にある小学校を訪れる。
津波で校舎が倒壊した戸倉小学校の生徒が通っている。
子どもたちの多くは、避難所や仮設住宅に住み、
寄付されたスクールバスがその通学を支援しているのだという。




真夏の太陽の下で元気に遊びまわる、一見したら普通の子どもたち。
その口から、ふとした瞬間に震災当日の出来事が語られたりする。
その傷跡の深さを、簡単に推し量ることはできない。




10万人ともいわれる被災者。
彼らは、今日を過ごすための衣食住が与えられればいいわけではない。
希望ある未来のための、今日がなければならない。

被災地を想う

会社主催の第1回被災地ボランティア、
そのオリエンテーションに参加した。


被災地の子供支援を行なっているNPOと協働して、
その活動を共にしたり、休日のイベントを開催するプログラム。
NPOは、被災した子供たちの学習の遅れを取り戻す手伝いや、
遊びやコミュニケーションを通じたメンタルケア、
その様子の変化などをきめ細かく観察することなどを、主な活動としている。



旅程や現地の様子などの説明に加え、被災地に赴くことに関する心構えについても、
臨床心理士を招き、1時間超のレクチャーを受ける。



被災者と接する上での留意点はさることながら、
実際に被災地の悲惨な状況を目の当たりにした時、
実際に被災者たちの傷ついた心と接した時、
自分自身の精神も支障をきたしかねないこと。
それが克服されないと、その後の日常生活においても
周囲に負の影響を及ぼしてしまう二次被害・三次被害に
発展することも、ありうるのだということ。



そうならないために、自分の精神を平常に保ち続けるためには
自分がそこへ行く理由を、目的を、明確に具体的に意識しておく必要があるのだと。
そして、参加者どうしで体験を共有し合うなどの事後的な浄化作業も有効なのだと。



ボランティアに参加することは、特別なことというよりは
むしろ当然のことと、何の気負いも責任も感じていなかったことが、
なんだか甘すぎたのかと、少し心配になったりもした。




でも、正直、自分がその地に立った時、
はたしてどんな精神状態になるのだろうか。
それをいま想像することなんて、やはりできない。



もし、そんなことができるなら、
被災地に行く必要なんて、半分以上はなくなってしまう。




間違えなく歴史に刻まれるであろう悲惨な出来事が、
そして、いまなお終息の目処がすら立っていない出来事が、
自分がいる国で、自分が生きるこの時代で起きているのに、
どことなく実感が伴わず、当事者意識が欠如している。
そのことへの苛立ちと、将来にわたって何か取り返しのつかない
大事なものを失っていっているような焦り。



それが、被災地へ行こうと思った最大の理由。



何かしてあげたい、もちろんそんな気持ちがないわけはない。
でもそれなら、寄付をすることが、自分にできる
唯一とは言わないまでも最大に近い行為であろうと思う。



そこで自分がする何かよりも、
そこへ行ったことの体験が、その後の自分の行動や考えに及ぼす影響が
少しでも被災地を救う何かになれば。



アイルランドの幼稚園で先生たちの手伝いをしたことも、
デンマークの森で子どものプレイ・グラウンドを造ったことも、
ベトナムの施設でストリートチルドレンと交流したことも、
すべては自分がそこにいてもいなくても、状況は何ひとつ変わらなかっただろう。



でも、すべて、私にとってはかけがえのない体験。



「行く」という行為を通じてしか心に刻むことができない体質は、
非効率的で決して性能がいいとは言えないけれど、
その体験が、やがて復興の1ピースになる日があると信じて向かいたい。

断捨離

「断捨離」の提唱者の取材番組。


次から次に出てきては消えていく
ハウツーものの一つに過ぎないと思い、
さしたる期待もなく見ていたのだが、予想に反して
その考え方に次第に引き込まれてしまった。



一、主役はモノではなく、自分


「自分にとって必要ないモノ」が、自分の空間や時間を
奪っている状態から、自分主体の空間や時間を取り戻すこと。



一、重要軸は自分、時間軸は今


「過去の自分」や「未来の自分」ではなく
「今の自分」にとって必要なものを見極めること。



一、減点法ではなく、加点法


「できなかった」ことに執着するのではなく
「できたこと」の価値を認めること。




いつか聞いた、円融寺の住職さんの言葉と重なった。
「自分の人生の主役は自分であることを忘れず、
坐っている今この瞬間だけに意識を集中し、
今の自分が本当の自分であることを認める」
という、坐禅の精神と。



そもそも「断捨離」の着想のきっかけは
高野山の宿坊を訪れたことだったそう。
やっぱり。



それから、もうひとつ。
「もったいなくて使えない」というありがちな発想は
自分よりモノの価値を上に置いている考え方で
それをあえて使うことが、自己肯定感を高めることにも
なるのだと。「モノは使ってこそ価値が出る」とは
つまり、そういうことかもしれないな。



そして、もらってから何年もそのままにしていた
高級食器を箱から取り出して、使ってみる。
うん、確かに。

10Years

社会人になって最初の日、
期待とのあまりの格差の大きさに、泣きながら帰宅した。
その日から、ちょうど10年が過ぎた。



少しずつ現実に慣れながらも
どこかで、理想の場所を、それに近い場所を、探していた。
“理想”の具体的なイメージも持たないまま。



2度、転職をした。
決して後ろ向きな決断ではないと言いたいけれど
「ここは、自分の居場所ではない」
「早くこの場を抜け出して、次のステップへ進まなければ」
そんな気持ちが先行していたことは、まったく否定できない。




環境が新しくなると、それだけで
薄れかけていた緊張感や充実感が蘇り、
人生そのものがリフレッシュしたような気分になったけれど
そのこと自体が問題の根本を解決するわけではないことも、
もうわかった。




10年間という時の長さに比べて、やってきたことが
あまりにも少ない気がして、振り返ると溜息がこぼれる。
名を残すことの一つにも関わっていなければ、
形が残ることの一つも、していない。
何かの専門家にもなっていなければ、
次の世代に教えられることは、何一つない。
仕事で海外へすら、一度も行っていない。




でも、そんな10年でも
自分なりに悩み、考え、それを止めることはなかった。
ささやかでも、その場限りでも、時々の目標を持ってきた。




だから、
手に入れられなかったことに嫉妬するのではなく、
手に入れられたことを大切にしよう、と思う。
与えられなかったことに失望するのではなく、
与えられたことに感謝をしよう、と思う。




これからの10年に向かうための
これは諦めではなく、挑戦。