被災地を語る

「ボランティア、どうだった?」そう聞かれて
「良かった。楽しかった。」と
半ば条件反射的に出てくる言葉を呑みこむ。
これはゴルフコンペとは違うのだと。少なくとも、
自分がそういうイメージの発信源になっては
いけないのだと。



予想以上に、そう質問されることが多いのも
それなりに興味を持っていて、しかし、
それとの距離を測りかねる人が多いからだろう。
かっこいい。でも、照れくさい。
どちらも不必要な感情だと思うけれど、
歴史が浅い日本では、仕方ないのかもしれない。




ボランティアに参加することの動機を
強制や制限することは、もちろんできない。
でも、それだけで自分がすばらしいことをした気になり
優越感すら覚える。そんな風潮に嫌悪感を抱いたりもするが
それすら、一人でも多くの人を呼び込めるなら
好ましい変化だと言うべきか。




どちらにしても、それを「特別なもの」として扱う限り、
一時の流行で終わってしまう可能性は捨てきれないと思う。
軽々しく、すべての商品に「エコ」と名づける社会。
ボランティアツアーも、できるだけ多くの人に参加してもらうこと、
参加者に満足してもらうこと、いつの間にかそっちのほうが
目的化してしまうことが、ないと言えるだろうか。
地球環境のために、震災復興のために、
何が必要なのか、何をすべきなのか、真摯に問い続けることを
忘れてはいけない。自分自身も。



CSRバブルは、それが続いていけばいくほど
バブルではなくなり、まさにファンダメンタルズになってしまう。…
人間は、歴史の中で、徐々にそのファンダメンタルズを増して、
少しでもまともな社会を実現しようと努めてきた。」
岩井克人『会社はだれのものか』)



いつかボランティアが社会のファンダメンタルズになれば
「ボランティア、どうだった?」と聞かれることも、
その答えにいちいち悩むことも、
なくなるだろう。