逆再生

いつからだろうか、
自分が考えたこと感じたことより
それがどう見られるか受け取られるかを
優先してしまうようになったのは。



最初は、自分を守る手段だと思っていた。
考えたこと感じたことを無防備にさらして
それを否定され軽蔑されたときに
自分の存在までもが深い傷を負ってしまうことを
避けるために。



自分を活かす手段だとも、思っていた。
「素材」をそのままの姿で人前に並べるよりも
自ら手を加えて形を整えることではじめて
「素材」の存在に注意が払われることも
あるはずだと。




そして、もう一生懸命に守り、売り出す必要もなくなったいま、
自由の身となり、広い世界に開放されるはずのそれは、
自力で立つことが難しくなるほど筋力を失い、
驚くほど淀み、混沌としていた。




それが、いつか研ぎ澄まされた輪郭を持ち、
生まれたままの身軽な姿で、自由に世界を闊歩する力を獲得するまで、
少し残念だけど、まだまだ相当な訓練が要りそうだ。