精神労働

前回の冬のある日、
ランニング中に足を痛めた。
しばらく放っておいたが治らず、
自宅の近くにある整骨院を尋ねた。



その小さな空間には、3〜4人の先生が
1階と2階を忙しく行き来しながら、
その間にある待合室の患者にも気を配る、
その親切で温かい空気が満ちていた。



引っ越してきてから
近所の整体院やらマッサージ店を転々としていたが
手頃な価格も然ることながら、その雰囲気が気に入って
その日から、あっさりと他を探すのを止め、常連になった。
ランダムに担当してくれる3名の整体師さんは、
信頼できる私の主治医となった。




しばらく通うと足の痛みもなくなり、
また元通りに走れるようになったが
その後も予防医療と称し、日常の疲れがもたらす
身体の不調を、癒し続けてもらっている。




今日も、受付終了直前の夜8:30に飛び込んだ。
5台のベッドは満席で、いつになく忙しそうだった。
そんな時でも、順番がくればいつも通り丁寧に応対してくれた。
そして施術が終わると、もう他のお客さんは居なくなっていた。



そして、そこで
数日前に、整体師さんの一人が亡くなったことを聞かされた。



30歳。
ある日、連絡もなく欠勤した彼と連絡がとれず、
自宅まで見に行くと、一人で、部屋で亡くなっていたそうだ。
3人の中で最も若く、大柄で、見るからに体力がありそうだった。



365日営業。いつでも親切に対応してくれる。
それを支える整体師さんの負担は、
想像以上に大きかったのかもしれない。



誰しもの日常生活の中で、少しずつ蓄積されていく疲れ。
それを繰り返し繰り返し和らげるという、立派な仕事。
またいずれ、疲れがすべてを覆い尽くすことが分かっていても
その終わりのない営みに付き合いつづける、根気のいる仕事。



そして、毎日毎日、他人の疲れた身体を
触り続けることは、特殊な仕事でもあるのだろう。
よっぽど強い身体と精神の持ち主でなければ
引き受ける負のエネルギーに負けて、
ボロボロになってしまうのではないか?
と心配になることさえある。



それでもこうして、
単なる肉体労働というだけなく、
精神労働とでもいうべき過酷な役割を担ってくれる
逞しい人たちのお陰で、なんとか社会人として生活をし、
楽しく走り、美味しく食べることができている
私のような現代人は、決して少なくないと思う。