チャリティラン

およそ5年ぶりに参加した
会社が協賛しているFITチャリティ・ラン
(Financial Institutes in Tokyo for charity)



日比谷公園に集合し、皇居を一周した前回が、
現在につづく「皇居ラン」の原点となった。
そしてこの5年ほどの間に、このイベントはみるみる拡大し、
国立競技場に開催地を移していた。



明らかに、前回に比べて、格段にグレードアップしていた。
競技場の外では、水や栄養補助食品はもちろん、
コーヒーやドーナツやパンやバナナなどなど
たくさんのモノが協賛企業から振る舞われた。
さらには、更衣室の外では、まるでプロアスリートのように
トレーナーによるストレッチサービスまで行なわれていた。



「スポーツの秋」と言うに相応しい、穏やかな週末。
国立競技場を走れるなんて、めったにない機会。
国立競技場と神宮外苑を囲むコースは交通規制がされ、
色づき始めたイチョウの並木道は、色とりどりのランナーで埋まった。



ここで、「ラン」ではなく「チャリティ」の方に、意識を移す。



今回の参加者、101社から6,716人。集まった寄付金、なんと、約6,800万円。
寄付金は主に、参加費(5,000円/人)と、RAFFLE購入費(500円/枚)からなる。



この企画、とにかくチャリティイベントとして、
寄付金を集める仕組は、とっても良くできている。



秋晴れの休日、金融機関で働く(高給取りの)人々が、
家族を連れて、5,000円でアウトドアイベントを楽しむ。


ついでに、タヒチ旅行やファーストクラス航空券、
一流ホテルの宿泊やディナーなど、超豪華賞品が
当たるかもしれない“夢”を500円で買う。



お金を払う側にも、それに値するベネフィットがもたらされる。
募金箱を回して「寄付してください」と言う活動とは、
決定的に違う“仕掛け”が、そこにはある。




しかし一方で、イベントが、レジャーとして完結してしまっているだけに、
参加者は、それが「寄付」であったことを忘れてしまうのではないか。



果たしてどれだけの人が、“6,800万円”の行方に目を向けただろうか。
「寄付者」としての責任は、そこにはないのだろうか。
支援先に決まった10の団体は、妥当なのか?
支援先は、どのような考えで決められたのか?
配分されたお金は、どのように使われるのか?




アメリカなどと比べて、寄付市場が圧倒的に小さい日本では、
単に人々の慈悲に訴えるだけではなく、
お金が集まる仕組み、お金が回る仕掛けが作れるかどうかが
非営利団体の生命線と言っても、過言ではないはず。
このイベントは、見事なまでにその問題をクリアしている。




それでも、なにか引っ掛かる。
「寄付」であることを忘れさせる仕組みづくりと、
「寄付」であることを忘れない意識づくりと、
その間で。




このイベントが、金融機関を中心とする集まりであっただけに、
意志を持ったお金の流れ、それが社会を変えるかもしれない可能性に、
もう少し光が当てられたらよかったのにな、なんてふと考えたりする。
手のひらの、外れたRAFFLEを眺めながら。