プロセスと結果

人生において
プロセスと結果のどちらが大切か?



この瞬間が楽しいことと
将来の目標を達成することの
どちらに最適化するべきか?




あまりセンスのよい問いではないが
いまだに、悩んでしまったりする。




ある目的を成し遂げることと引き換えに、
毎日、辛い我慢を強いられていたとする。
だけど、必ずしも目的が達成される保証はないし、
しかも人生は、いつ途中で断ち切られるかわからない。
「プロセス」だと思っていたものが、「結果」だったことになる。



それって、幸せ?




ならば、とそれを極論して
「どんな人生を送ろうと、死んでしまえば同じ」と
与えられた時間を消耗すればいい
なんて、もちろん賢い結論であるはずがない。



結局、
いまこの瞬間が、人生のすべてであり、
いまこの瞬間の積み重ね全体が、人生のすべてなのだろう。
そこには、「プロセス」も「結果」もなく。




あ、なんか真言宗の教えに似ている。
宇宙に存在するすべてのもののなかに大日如来があり、
同時に、宇宙そのものが大日如来である、という。




真夏の暑い季節から始めた皇居ラン。
美味しいものを、美味しく食べるために
食事の前に1周走ることを習慣にして、
この日で10周。



最初は、1周を走りきることだけで精一杯だったのに
いつの間にか、徐々にタイムも上がり、
当初と同じ速さなら、余裕で会話をしながら
走れるようになっている。



別に、何かの「結果」を求めて走っているわけではなく、
その1周ずつの「プロセス」を楽しんでいる。
でもその積み重ねとして、「結果」があると
やっぱり嬉しい。



人生と日常生活における、真言密教的解釈論。