三夜学生 

3つのケースを扱う、3回の授業を終えた。



たった3回に、「何かすごいことが得られる」
なんて、過度な期待はしていなかった。
それでもどこか、消化不良の感が残ったのは、
きっと回数の少なさだけが理由ではない。



もしもマーケティングというものに、
おぼろげにでも期待していたような「答え」なんていうものがあったなら、
そして、それがお金を払い学校に通えば得られるようなものであったなら、
社会の様々な活動は、ドリルの計算式を解いていくような
単調で、味気のない作業の積み重ねになるだろう。
当然、現実の世界は、そんな単純なものではない。



それにそもそも、
競争社会を前提としたマーケティング理論において
唯一絶対の「答え」が存在するということ自体、
それがそのまま、自己矛盾を意味することになる。



だから、ビジネススクールでは
マーケティングにまつわる複雑な現実問題について、
確立された解法を伝授してもらうのではなく、
もちろん、その先にある答えを教えてもらうのでもなく、
過去の膨大な実例から搾り出された理論の枠組みを基に、
視点の動かし方、糸口の探し方、思考の深め方、
それらの精度を高めることを目的に訓練を重ねる、
ということなのだろう。




本屋に並べられた、数え切れないほどの啓蒙書。
一体どれだけの人が、求めていた人生の「答え」を
そこに見つけられただろう。



人生は、何本ものか細い線を重ねて、ようやく輪郭を現してくるようなもの。
外に向かって飛び出した線、内に入り込んだりした線、
すべてが輪郭を成す大事な線のひとつだ、とは秋元康氏のセリフ。



きっとマーケティングも、
繰り返し、繰り返し、頼りない思考を重ね、
ようやくおぼろげに、輪郭が見えてくるようなものなのだろう。
これが、たった3回の授業を通じた得た、自分なりのマーケティング観。
そんなこと言ったら、すべてがそうなのかもしれないし、
本当は、全然違うのかもしれないけれど。



「答え」を教わるものではない。
そもそも、学校で教えてもらうものでもない。
そうかもしれないけれど、でもせっかくだから、
“目からウロコガ落ちるような”授業も経験してみたかったな。